
1. 解説してくれるのは、土蔵専門左官職人「左官工藝山内」さん
このページで蔵(主に蔵の扉である戸前)について解説してくれるのは、土蔵専門の左官屋で15年修行し、3年前に独立した左官工藝山内の山内徹さん。仕事として日々土蔵と向き合うだけでなく、素晴らしい蔵があると聞けば暇を見つけては訪問し、採寸して図面に起こすのが趣味という、生粋の土蔵バカです。
今回は蔵の解説のためにご自宅のある岩手県奥州市水沢から駆けつけてくれました。

2. 土蔵の役割
土蔵の一番の役割は、その家の宝物・財産を火事や窃盗、多湿な環境から守ること。当時の主屋は障子戸に木製の雨戸だけで外界と仕切られていましたから、防火・防犯・防湿の観点から大切なものは置けませんでした。
そこで、主屋の近くに短いピッチで柱を立て、土壁を塗りこみ、窓は限りなく小さくし、調湿効果のある漆喰で表面を塗りました。そして、積もる雪から蔵の壁を守るために、木製の「鞘」で蔵をすっぽり覆ったのです。
3. 羽後町田代、No.2の地主「阿専asen」の蔵。
※普段は非公開ですが、特別に許可をいただきました。

見た瞬間、「うぉっ!」となりました。
— 艶々に磨いた白い漆喰
蔵のサイズ、棟木の太さ、観音扉の内側にある引き戸を転がすための仕掛け “そろばん”、垂木を必要としない屋根の野地板の厚さ、納められた数々の宝物…、素晴らしい点を挙げればキリがないのですが、左官職人の観点から一つ選ぶとするならば、「丹念に磨かれた白漆喰の観音扉と正面の腰壁」です。

磨きに磨いて鏡のようです。
手前側の観音扉に外の緑の景色が映っているのが分かりますか?当時は鏡のようにもっとはっきりと映っていたはずです。特別高級な素材を特別な配合で調合した漆喰…、という訳ではありません。白漆喰を塗りこめた後、乾くか乾かないかのタイミングで素手で漆喰を押さえつけながらひたすら磨くのです。こんな感じで。
デモンストレーションなので力を込めていませんが、本来はもっと手を壁に押し付けながら磨きます。これを艶(ツヤ)が出て鏡のようになるまでひたすら繰り返すのです。この作業を観音扉全体、正面腰壁全体に施すのは相当な時間と人夫が必要だったはずです。
左官の技術を知らないほとんどの方が気が付かないポイントですが、一見に値する見事な技術です。
— 窓に取り付けれた内開きの掛け子の扉

この扉も触れておかなければいけません。通常、窓の内側に扉をつける場合、引き戸にするケースが一般的ですが、この蔵は違います。しっかりと2段の掛け子(段々に加工されていること)になっています。1階、2階合わせるといくつかこのタイプの扉がありますが、掛け子にするには出っ張る側と収まる側双方を時間をかけて作り込まなければいけません。こんなトコロにも手間暇をかけるあたり、往時の財力が窺えます。いつか一般公開されることがあれば見ていただきたいポイントです。
阿専asen MAP
4. 羽後町田代 No.1の地主「旧長谷山邸」の蔵。
現在は「鎌鼬美術館」として利用されている旧長谷山邸の蔵ですが、この蔵がとても素晴らしいのです。左官専門誌の編集長を長いこと務めた小林澄夫氏がその著書『左官礼賛』で以下のように述べています。
東北には二つの不思議な土蔵がある。
–中略–
その外壁全体の黒漆喰の磨きや観音扉やカブト桁、はちまきにほどこされたほそく白い面取りは、よそではみられないものである。その磨きあげた黒の中のほそい糸のようにまっすぐに通った白い線の重なりは、現代のモダンアートの最良のものに感じると同じ質の新鮮な感動を呼び覚ますものであった。奈良の法隆寺に始まり、京都で京壁として成熟し、江戸で漆喰の黒磨きとしてのぼりつめた左官の塗り壁の技術が、東北の土蔵の中にその高度な技術の達成をみたというばかりではなく、黒い平面に白い線で抽象画を思わせるようなシンプルな美をも達成していることの不思議さである。
–中略–
技術的にも感性的にも最高のレベルで達成した土蔵が、京都でもなく江戸でもなく草深い東北に見出されることの不思議に、私は東北の深い闇をみたといったら、いいすぎであろうか。
小林澄夫 (2009). 左官礼賛Ⅱ,253-254
左官専門誌の編集長にそう言わしめたのが、こちらの蔵です。


— 6段の掛け子について

素晴らしい仕事です。

この観音扉、段々(掛け子)が6段ありますね。私、この六段の掛け子を見たのは初めてです。三段の掛け子の場合は「並三重(なみさんじゅう)」とよび、四段の掛け子は「本三重(ほんさんじゅう)」と呼びます。しっかりと作られた蔵でもこの本三重までで、五段の掛け子の観音扉を持つ蔵となると、その数は一気に少なくなります。それは三段だと並三重、四段では本三重のような、五段の掛け子を指す言葉がないことからも分かります。まして六段の掛け子となると、日本中見渡してもほとんどないのだと思います。
普段は開きっ放しのこの観音扉ですが、開きっ放しだからといって余裕をもって大雑把に作るワケにはいきません。いざ火災の際に扉を閉じた時、隙間があると煙が流入して蔵本来の役割を果たせません。逆に、閉じた時に少しでも左右の扉が重なってしまえば今度は扉が閉まりません。ぴったりと合わさる正確さが求められます。(土壁は乾くと縮むやっかいな性質を持っているのに、です。)


土蔵の扉の仕事は通常の民家の土壁塗りと比べると工程が多く、つまり塗っては縮み、塗っては縮みを繰り返す苦労の多い仕事なのです。
さらに掛け子の段数が多ければ、それだけ工程が増えます。段数が多ければ扉も重くなり、扉自体が下がってくることもあるでしょう。この扉を手がけた職人さんには本当に頭が下がります。
— 白い縁取り線について

塗り残して下層の白漆喰を見せているのです。
さて、前述の引用部分で小林澄夫氏が感嘆していた白い線ですが、この白い線は黒漆喰で全面を塗りこめた後に白く書いたものではないんです。この部分だけ黒漆喰を塗らずに、下層の白漆喰を見せているんです。
岩手の気仙地方や隣町の増田の蔵によく見られる技法で「面白(めんじろ)」と言います。もちろん、定規などを当てがうことはできませんから完全フリーハンド。「白い線の周囲の黒漆喰は指を使って塗ったはずだ」という左官職人もいますが、鏝(コテ)を使っていると言う左官職人もいます。どちらにしてもすごい技術には変わりありません。
— 黒漆喰について
通常の蔵の場合、荒塗りを1回、その後に中塗りを2回、そして白漆喰を塗って完成しますが、黒漆喰仕上げの場合はその後にもう1工程、黒漆喰を塗る工程があります。”黒”の難しさはそのタイミングです。面白部分の “黒” と ”白” の境目を見ていただけたら分かりますが、黒漆喰はもうほとんど紙一枚ほどの厚さでしか塗っていないんです。ですから、下地となった白漆喰が湿っていたら ”黒” がぼやけてしまいます。かといって乾かしすぎると ”黒” は乗らずに剥がれてしまう。
さらに ”黒” の原料である油煙や松煙、消石灰の粒子を緻密にするために何度もタテ・ヨコ・ナナメに鏝を通した後、 ”黒” が適度に湿っているうちに、タイミングを逃さず手で磨き込まなければいけませんから、本当に気を使う作業の連続です。
— その他にも ”この蔵ならでは” が
扉を地面に完全に垂直に立て付けてしまうと、自身の重みで途中まで閉まってきてしまいます。半開きの状態になってしまうんですね。ですから通常は扉そのものにも若干の傾斜をつけます。上側を少しだけ奥に倒すのです。この蔵の扉もそうでしょう。
また、掛け子の上部に傾斜がついていますが、これはきっと “この蔵ならでは” です。(通常雨がかかる部分の掛け子では、水が流れるように若干の勾配がつけられますが、屋内ではほぼ直角に近くなります。)掛け子が六段もあると、その厚みで正面から見た時に掛け子同士が重なって六段の段々が綺麗に見えません。そこで掛け子上部に傾斜をつけ正面から見た時に一番美しく見えるよう工夫したのだと思います。



旧長谷山邸の蔵(鎌鼬美術館) MAP
5. 山の上のそれぞれの暮らし
今でこそ町の中心部から車で15分程度でアクセスできる田代地区ですが、かつては山を突っ切るバイパスもなく、車も普及していませんでしたので、急斜面の七曲峠を歩いた(冬は犬ゾリだったかもしれない)ワケです。それこそ往復するだけで1日仕事。そんな山の上の集落にこれほどの蔵が2棟もあると思うと不思議な感覚に包まれます。
秋には豊かな実りがあり、小作農がいて、地主がいた。それぞれ山菜を採ったり、木を切ったり、牛馬の世話をしたり、炭を焼いたりして生活していたのでしょう。そんなことを考えているとまるでタイムスリップしてしまったかのような気分。羽後町田代の二つの蔵。町の貴重な財産ですね。

仕事の丁寧さに定評があり、信頼のおける職人さんです。

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