七曲峠

七曲峠 七曲峠
七曲峠途中から西馬音内を見下ろす 七曲峠途中から西馬音内を見下ろす
七曲峠の六合目、長命水 七曲峠の六合目、長命水
羽後町、七曲峠の長命水 羽後町、七曲峠の長命水

羽後町の町と里山をつなぐ「七曲峠」

羽後町の中心部、西馬音内がある横手盆地から出羽丘陵を一気に登る坂道で、峠の入り口では標高約100m、登り切ると300m、標高差約200mの間に緩急合わせて40以上のカーブがひしめき合います。かつては雪で閉ざされて山の上の集落を孤立化させ、舞踏家・土方巽が写真撮影のために上り、今では花嫁・花婿が馬車に揺られる、羽後町を象徴する峠道です。

七曲峠途中から西馬音内を見下ろす
七曲峠の途中、ぽっかりと眺望が開けます。羽後町の中心部、西馬音内の町並みが広がります。

毎年 “山の上” の集落を孤立化させた厳しい峠道

今では全長4kmのゆるい坂道ですが、藩政の頃はその半分の距離しかない沢伝いの厳しい峠道でした。夏はともかく、冬の豪雪の中の登り降りはそれはそれは厳しかったことでしょう。その後、山の上(田代地区)の「旧長谷山邸」に居を構えた大地主・長谷山家が、町の中心部から田代の自宅へと続く道として整備させたといいます。それでも冬季には積雪でバスが不通となり、羽後町の “山の上” と “山の下” を分断しました。(現在はバス路線は廃線となりました。)

容易に町と集落を行き来できない秋田県南(けんなん)のこのような厳しい環境と地勢が、いぶりがっこのような保存食、味噌や納豆汁、麹を利用したハタハタ寿司やなすの花漬けなどの発酵文化を育みました。そう考えると秋田県南の食文化を象徴する坂道でもありますね。

舞踏家・土方巽が登り、今では花嫁行列も登ります。

昭和40年には、舞踏家・土方巽と写真家・細江英公がこの峠道を登って突如田代地区に現れ、奇異な行動の数々が撮られて写真集「鎌鼬」として結実します。

また、昭和61年に始まったかつての花嫁行列を再現したイベント「ゆきとぴあ七曲 花嫁道中」もこの七曲峠を中心にして開催されます。

七曲峠
七曲峠の頂上付近。スノーシェルターをくぐればもう田代地区です。

一度は通ってほしい「七曲峠」

現在はカーブの少ない便利なバイバス(北沢農道)が西馬音内地区と田代地区を繋ぎ、”山の上” と “山の下” の往来はとても便利になりました。地元の住民も曲がりくねった七曲峠を避けて北沢農道を利用しますが、観光で羽後町を訪れた際にはぜひ一度は七曲峠を通ってください。

一度通っていただければ、2mもの積雪の中、現在よりももっと厳しかったこの峠道を利用しなくてはならなかった “山の上” の往時の生活がありありと想像していただけると思います。

基本情報

名 称七曲峠(ななまがりとうげ)
住 所秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回 〜 羽後町田代
ア ク セ ス【電車】JR奥羽本線 湯沢駅からタクシー・レンタカーで25分
【車】湯沢横手道路 湯沢I.Cから25分

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