
1. 羽後町にいくつもある伝統的民家建築様式 「中門造り(ちゅうもんづくり)」
羽後町には伝統的建築様式「中門造り」で作られた民家が今も多く残ります。国の重要文化財に指定されている「鈴木家住宅」や、町の施設として活用されている「旧長谷山邸」、国登録有形文化財の「阿専(阿部家住宅)」だけでなく、町中を車で走らせれば、古民家と思しき住宅の多くが中門造りであることが分かります。

国指定重要文化財・鈴木家住宅(@羽後町飯沢)

羽後町交流施設・旧長谷山邸(@羽後町田代)

国の登録有形文化財・阿専(@羽後町田代)

中門造り・茅葺の農家住宅(@羽後町田代)
いずれの建物にも共通しているのは、屋敷への出入り口部分が手前に突き出し、全体としてL字型の平面を構成していること。「なぁんだ、岩手の “南部曲り家” じゃないか。」と思うかもしれませんが、決定的な違いが一つあります。そう、南部曲り家がそのまま秋田にあったとしたら、冬、そのお家の人たちは閉じ込められてしまうでしょう。
2. ”南部曲り家” と “中門造り” の違い
違いが分かりやすいように、どちらも昔の形をよく留めた茅葺き民家で比べてみます。

@岩手県、遠野ふるさと村

@羽後町飯沢
同じL型の平面構造を持つ茅葺き民家ですが、上が岩手県の遠野ふるさと村にある “南部曲り家” で、下の写真が羽後町飯沢にある “中門造り” の鈴木家住宅 。注目していただきたいのは屋敷の出入り口が設けられた場所です。


“南部曲り家” では屋根が直角に隣りあって谷を形成した側に出入り口がありますが、”中門造り” ではそこを避けるようにして、突き出した正面部分に出入り口を設けます。これが両者を分ける決定的な違いなのです。
さて、その理由がよく分かる一枚の写真をご覧ください。

@羽後町田代
この写真は空き家となった中門造りの茅葺き民家の雪下ろし直後の写真です。空き家なので正面出入り口も雪で埋もれてしまっていますが、注目していただきたいのは赤の斜線部分です。

赤の斜線部分には直角に隣り合った2つの屋根面から下ろされた雪が溜まってしまうのです。雪かき、雪寄せは手作業もしくは踏俵(フミダワラ)という藁で作った底の広い長靴で踏んで圧雪するだけだった当時の人々が、ここに出入り口を設けなかった理由がよく分かります。
ですから、雪の少ない東北地方・太平洋側では “曲り家” が普及し、雪が多い東北地方・日本海側では “中門造り” が一般的となったのです。
※中門造りは秋田だけでなく、青森から秋田、山形、新潟、北陸にかけて、雪の多い地方で見ることができます。
3. 馬もヒトも “ひとつ屋根の下” 。
“中門造り”も”南部曲り家”も、もともとはL字型ではなく、長方形の平面構造を持つ”直家(すごや)”でした。農家でも馬が飼えるようになり、厩が後から追加されて最終的にL字形となったのです。(農家で馬を飼うのが一般的になってから建てられた場合は、予めL字型として建てられます。)
馬もヒトも「ひとつ屋根の下」で暮らすには理由があります。一つは「大切な家族の一員だった」から。田んぼを耕したり荷物を運んだり、山から木を切り出したりと大活躍したようで、頼りがいのある働き手であると同時に大切な家族の一員でした。もう一つは「馬にとって東北の冬は寒すぎる」から。飼葉用のかまどがあったり、囲炉裏で火が焚かれたりすることで馬も少しは暖まったことでしょう。
また、特に雪が多い秋田県(中門造り)ではひとつ屋根の下に厩があることで「厩までの雪寄せをしなくて良い」「厩までの移動が楽」といったメリットも大きかったことでしょう。


4. 馬から牛へ。そして、別棟の牛小屋へ。
時は流れ、飼われてた家畜は馬から牛へと姿を変えて行きます。そして、衛生観念の高まりと家庭用小型除雪機の普及により、”中門造り” の民家内で家畜を飼うことはなくなり、牛舎が別棟に設けるられようになりました。羽後町田代地区では今でも稲作農家が牛を飼っていて、かつての循環型農業が残っています。
5. 見学・宿泊可能な “中門造り” の民家 @羽後町
羽後町では “中門造り” の屋敷が現役で民家として活躍中です。また、重要文化財に指定されていたり、カフェとして利用されていたりと、間近で見たり泊まったりすることも可能です。実際に訪れてみて、家主・スタッフの話を聞きながら往時の雪国の暮らしを想像してみる。これも羽後町ならではな過ごし方です。
◆見学・宿泊可能な ”中門造り” の観光スポット
- 宿泊可能 国指定重要文化財 鈴木家住宅
- 宿泊・カフェ 国登録有形文化財 阿専 asen
- 見学可能 旧長谷山邸
- 農家レストラン あるもんで は旧長谷山邸で開催中