豊かな山村だった? 旧長谷山邸が建つ羽後町田代地区
横手盆地と出羽丘陵にまたがる形の羽後町。盆地にあるのは西馬音内などの町の中心部で、田代地区はその盆地から出羽丘陵へと山を駆け上った先にあります。”丘陵” なので、田代地区周辺の山々の標高は300〜400m程度ですが、その山々の真ん中に田んぼが広がり、山裾にへばりつくように民家が軒を連ねます。
その山裾にある1軒のお屋敷が、旧長谷山邸。丘陵地帯といえば私が想像するのは「地域全域がほぼ斜面で小さな田んぼが切り取られたように点在する風景」ですが、この田代地区は旧長谷山邸が立つ(財力が蓄えられる)程度には田んぼは広く、秋には実りがあり、山々から恵みを得ていたようです。
田代一の大地主&豪農のお屋敷、旧長谷山邸
江戸の頃、下総の国から3人の兄弟が羽後町田代にたどり着いたのが、ここでの長谷山家の始まりと言われます。山から木を切り出し、炭を焼き、稲作に精を出し…等々、やがて力をつけた長谷山家は地主となり、金融業を初め、と財を築きます。
戊辰戦争の戦線がこの田代地区にも及びますが、多くの屋敷やお寺はその時に焼き払われたようです。長谷山邸はこの時に金銭で話をつけたようで、その時には相応の財産を築いていたことが分かります。(注:現在の建物は当時はまだ建っていません)
明治15年に建てられた、中門造りの主屋
「中門造り」はこの地域独特の建築様式で、L字型に曲がった構造を示します。手前に突き出した部分の正面に入口があり、入口をはいるとすぐに厩があるのが一番の特長で、かつては一つ屋根の下で馬を飼育しながら人間も生活していました。
羽後町にはいくつも中門造りの屋敷・民家が残っていますが、ここ旧長谷山邸の屋敷がひときわ大きくて豪華です。大切な客人専用の玄関や、トトロに出てくるような昔ながらの電話機、大きくて立派な仏壇と神棚、2階にある使用人のための部屋(非公開)などなど、見応えがあります。
特集:羽後町の歩き方 羽後町に多い「中門造り」は「南部曲り家」とどう違う…?
「長谷山の三階建」と言われた、磨き黒漆喰の豪華な土蔵
主屋と空中回廊でつながった蔵がまた見事で、磨き黒漆喰の土蔵に鞘をかぶせ、珍しいことに蔵の上(3階)には大きなお座敷が設てあります。また、蔵の1階も座敷になっており、3階での宴会の後には客人を蔵座敷に泊めていたようです。
3階の座敷には、一枚が非常に長く大きな畳、当時珍しかったガス灯、釘隠しの見事なデザイン、田代の田んぼを見下ろす広縁など、見所も満載です。緑の山に囲まれて映える白漆喰の壁、均整の取れた蔵を覆う鞘自体もまた見事です。
黒漆喰で磨かれた蔵の入り口に関する説明は以下の記事に譲りますが、
特集:羽後町の歩き方 日本一の蔵 !? 土蔵専門左官職人が驚いた、農村には不釣り合いな「すごい蔵」。
往時には現在郵便局がある場所にも別の蔵が立ち、その他にも弓道場や米蔵、小屋などがあったといいますから驚きです。
旅を豊かにする想像力
ぜひ、この田舎の山村を訪れて、この場所に不釣り合いな大豪邸をご覧になってください。そして「まんが日本昔ばなし」に出てくるような小作農と大地主の姿をありありと想像してみてください。それはそう遠くない過去、戦後のGHQによる農地改革(1946-1950)まで続いていたのです。
基本情報
名 称 | 旧長谷山邸 |
住 所 | 〒012-1241 秋田県雄勝郡羽後町田代梺71 |
アクセス | 【電車】JR奥羽本線 湯沢駅からタクシー・レンタカーで30分 【車】湯沢横手道路 湯沢I.Cから30分 |
営 業 日 | 土・日曜日(午前9時~午後5時) |
営業時間 | 9:00~17:00 (4月から11月まで。12月から3月までの冬季期間は終日閉館) |
見 学 料 | 無料 |
連 絡 先 | 電話:0183-62-2111 羽後町 みらい産業交流課 観光交流班 |
W E B | https://www.town.ugo.lg.jp/sightseeing/detail.html?id=511&category_id=212 |
駐 車 場 | あり |
駐 輪 場 | あり |